ここに筆者の壮絶なる受験体験記を記す。
学校の朝に行われる小テストは程よく悪く、学内では常に真ん中をキープしていた筆者は緩やかに志望を下げていった。さすがにこのままではいけないと思い、高校三年の頭に自宅から近い某予備校に入塾。理由は友達がいたから。叩かれそうな動機だが、もちろん遊びほうけていたわけではなく、人生後にも先にももうないくらい勉強した。だが1・2年時のツケは簡単に消せるものではなかった。
予備校の講座に「過去問演習講座」というものがある。志望大学の過去問を解くと、解答が添削されて返ってくるのだ。筆者は二次試験の勉強は9月頃には始めておいたほうがいいと言われ、このプランを導入。さっそく自分の得意な英語に取り掛かかり、さいさきの良いスタートを迎えようと張り切って解いた。しかし記号問題以外全部0点で返却されたのには度肝を抜かれた。心が折れる音がした。減点方式ならありえない話ではないと思われるかもしれないが、減点された合計を求めて満点から引いたらマイナスになったことは今でも鮮明に覚えている。あのときの教訓は、自分で得意だと思っている教科こそ疎かにすべきでないということだった。
筆者は前期試験だけでなくAOⅢ期も受験した。AOⅢ期はセンター試験重視ではあるものの、志望理由書を含めた小論文もあり、準備は大変だと思われる。事前の準備が皆無であった筆者には困難を極めた。小論文は制限時間が厳しいとわかってはいたものの、自分の思うようにすらすらと書けず、面接に至っては挙動不審そのものであった。しかし、ここで崩れても前期試験があるということ、そもそもAOⅢ期に受かるとは思えなかったということもあり、受からなかったダメージは軽く済んだ。センターが良かった人は一考してみてはいかがだろうか。
筆者が工学部情報知能システム総合学科を志望した理由はプログラマーになりたかったからである。その夢を糧に、どんなにつらくても自分の意思をしっかり持って勉学に励んだことで受験に打ち勝つことができたと筆者は考える。
終わりに、二つだけ伝えたいことがある。一つは、受験は良くも悪くも何が起こるかわからない。最後の最後まで粘ること。二つ目に、周りには自分を応援してくれる人が必ずいる。いつまでも感謝の気持ちを忘れないでいてほしい。
0 件のコメント:
コメントを投稿